自分を責めてしまうのは、神経が守ろうとしているから
以前の私は「私が悪い」
「もっと頑張らなければ」
気づくと、いつも自分を責めていました。
頭では「自分を認めよう」「もっと自分に優しくしよう」と思っても、 なかなか止められない。
それは、意志の問題ではなかった。
強い緊張や不安が続いていると、身体は「失敗してはいけない」 「危険を避けなければ」と警戒します。
すると、頭で考えるより先に、身体の防衛反応が働きく。
その反応のひとつとして、
「私が悪い」
「もっと頑張らなければ」
「こんな自分ではいけない」
という自己責めが、自動的に出てくるのです。
私は、自己責めが自分を苦しめていると思っていました。
でもそれは、失敗を避け、危険を減らそうとして身についた 反応だったように思います。
だから、「自己責めをやめよう」と頭だけで頑張って
…「楽しかったね」が、私の中から出てこなかった
どこかへ遊びに行く予定が決まっても、私は「楽しみだな」と思うことがありませんでした。
行きたくないわけではありません。
決められた日に準備をして、目的地へ行き、予定どおりに過ごして、家に帰る。
一つの行事を、淡々とこなしているような感覚でした。
遊びも、予定表に書かれた一つの行事だった
遊びに行くことは、本来なら楽しいことなのだと思います。
「今度、ここへ行こう」
「きれいな景色を見に行こう」
「おいしいものを食べに行こう」
そう聞けば、出かける前から楽しみになる人もいるでしょう。
でも、当時の私には、その「楽しみ」がありませんでした。
予定が決まれば、行く。
時間が来れば、出かける。
そして、予定を終えて帰ってくる。
遊びであっても、私の中では、やらなければならない行事とあまり変わらなかったのです。
景色は見えているの
…胸に手を当ててみたら、何も分かりませんでした
胸に手を当ててみたら、何も分かりませんでした。
なぜこんなことをしたかというと、こういう研究の読んだからです。
目を閉じて、指では触らずに、自分の心臓が何回打ったかを数えてもらう。本当に感じ取れていた人は、27.4%だったそうです。10人のうち7人は、分からない。
それで、やってみたんです。
分かりませんでした。
手首で脈を探して、やっと分かりました。
私はたぶん、この7人のほうに入っています。
でもこれ、感じ取る力がないという話ではないと思う.
心臓が動く
当たり前すぎて、気に掛けなかった。
私たちが気をつけているのは。食べるもの、サプリメント、たんぱく質
その他の栄養素。
でも、入れる器のほうは、あまり気にしていない。
たとえば、腸にいいものなら、すぐに出てきますよね。発酵食品とか、食物繊維とか。胃にやさしいもの
…私が「脳をクリアリングすることが大切」と思っていた理由が、やっと言葉になりました。
私は以前から、
「脳をクリアリングすることが大切です。」
「脳に空白をつくることが大切です。」
とお伝えしてきました。
でも、正直に言うと、その頃私は「なぜ大切なのか」を言葉で説明することはできませんでした。
私自身の体験から、
「脳がスッキリすると、物事が見えやすくなる。」
「頭が軽くなると、自然に動けるようになる。」
そんな感覚があったからです。
だから私は、長い間、
「脳に余白をつくることが大事なんだ。」
と、感覚的に伝えていました。
「認知負荷」という言葉に出会って
先日、「認知負荷」についての記事を読みました。
そこには、
脳は一度に処理できる情報量に限界があり、
頭の中に未完了のことや判断することが増え続けると、
脳は疲れ、
集中力や判断力が落ち、
イライラしやすくなる、
ということが書かれていました。
読んだ瞬間、
「こ
…「諦めたら終わり」と自分を奮起させ続けていた私が気づいた、本当の成果が出ない理由
神経が緊張して固まった状態のままノウハウを入れようとしても、脳が拒絶反応を起こして成果が出ない。
かつての私は、このメカニズムをまったく知らなかった。
世間や周りは、こう言います。
「頑張れば、どうにかなる」
「続ければ、必ず道は開ける」
「諦めたらそこで終わり。続けることこそが成功の道よ」
私もそう信じていた。
だから、心が折れそうになったり、どうしても行動を起こせなくなったりするたびに、私は必死で自分を奮起させていました。
「あぁ、ここで諦めたら、せっかく今まで積み上げてきたものが全部駄目になる…!」
そうやって焦りと恐怖の中で歯を食いしばり、自分にムチを打ちながら無理やり走り続けていたのです。
でも、いくら「諦めるな!」と自分を奮起させて新しいノウハウや知識を詰め込もうとしても、頭に入らず、記憶として定着
…「ハイマツは、そこにしか生えてなかった」
ハイマツは、そこにしか生えてなかった
今朝、たまたまつけたテレビで、難病を持つ方が話していた。途中から見たので、どの病気かは分からない。二回、死ぬ思いをしたそうだ。そこから「生かされてる私。他者に貢献するんだな」というイメージが持てた、と話していた。
聞きながら、遠い昔のことを思い出た。
そして体験したその時の感じ方の違いに思考を巡らした。
二十代の頃、五月の山スキーに行った。ご来光を見に行く途中で足を滑らせ、滑落した。斜面を滑り落ちて、ハイマツに引っかかって、止まった。
そのとき、私が思ったのは「うわ、やっと止まった。すごい傾斜。それだけだった。
「止まらへんかったら死んでたな」とは、思わなかった。死ぬというところに、発想がいっていなかった。
凍結した斜面、ツルツルの上着ですごいスピードで滑っていった。
…安心は、ゴールじゃなかった。
先日、ある経営者の方の話を、横で聞いていました。
何千人もの社員がいて、声に張りがあって、年齢も若くて。
充実感が、こちらまで溢れてくるような人でした。
聞きながら、私はこう思ったんです。
私には、このエネルギーはないな〜と。
長いあいだ、人が怖くて、
「こんなこと言ったらどう思われるだろう」と身構えながら生きてきた私には、ああいう発散する力はありません。
でも、そのあとで、もうひとつ気づいたんです。
私がやっているエネルギーとはまったく別のものだ
私はずっと、「神経」の話をしてきました。
意識より先に、神経を緩める。
延髄、迷走神経、ガードを下げる など、
難しい言葉を、たくさん使ってきました。
でも、ある日ふと、立ち止まったんです。
それらのいちばん底にあるものは何だろう、と。
たどっていったら、答えは、とてもシンプ
…意識じゃなかった。神経だった。
私は、意識が変われば変われると学んだ。 だからそう思っていました。
気づいて、学んで、手放して。 意識をどうにかしようと、ずっとしてきました。
でも、本当は神経だった。
そういえば、こんな話があります。
脳には、眠っているあいだに老廃物を流す仕組みがあるらしい。グリンパティック
っていう名前がついてる。
ふしぎなのは、ぐっすり眠れるのは、これがよく働いてくれていると、ちゃんと働いてくれているから、深く眠れる。そういうことらしいです。
医学は、壊れたあとを診てくれる。でも、その手前――体がちゃんと休めているか、神経がゆるんでいるか。そういう”環境”のところは、まだ、あまり目を向けられていないです。研究も途中らしいです。
でも、神経だということに気づいた私は、それを読んで、こう思いました。
だったら――神経がゆる
…変われたと思ったのに、でもあの違和感は消えなかった
変われたと思ったのに、でもあの違和感は消えなかった
たくさんの瞑想も、セミナーも、やり続けてきました。
心の傷が深いことは、自分でわかっていたんです。
それでも、あるとき、思いました。
「もう、私の意識は平和になった。これで大丈夫」って。
誰かに言われたんじゃない。自分で、そう思えたんです。
——なのに。
体の奥に、まだ何かが残っていた。
あれだけやっても、変わらないのか。
この感覚は、なくならないのか。
……正直、ショックでした。
長いあいだ、私はこう思っていました。
「私のやり方が、悪いのかな」
「私の努力が、足りないのかな」
まわりの人は、これで変わっていくように見えるのに、なんで私は変わらないんだろう、って。
でも、今ならわかります。
潜在意識を書き換える。手放す。
——あれは、頭の中、意識のところでの解放なんです。
…