自転車でひっくり返された日のこと
自転車で出会い頭にぶつかられたことがある。
相手は進行方向を見ないで、反対側を見ながらすごいスピードで突っ込んできた。
私はひっくり返った。
相手の女性は「大丈夫ですか」も言わなかった。前籠がへこんでいるのを直しながら、
「ちょっと急いでたもんで」と言って去ろうとした。
その時、私は言いたいことが言えなかった。
後からずっと残った。なんで言えなかったんだろう。あんな場面でも、言えない自分がいた。
子供の頃から、口に出してはいけなかった
子供の頃から、反論してはいけなかった。
思っていることを口に出してはいけない。そういう教育を受けてきた。だから「口に出すことはいけないことだ」という感覚が、体に刻まれていた。
喉がいつも締め付けられていた。
言いたいことがある。喉元まで出てきている。なのに、口から出ない。
後から何度も思った。なぜ言えなかったんだろう。こんなことが言いたかったのに、なぜ反論できなかったんだろう。
それの繰り返しだった。
音声入力を始めて、変わってきたこと
音声入力を使い始めたのは、ここ一ヶ月くらいのことです。
以前も試したことはあった。でも聞き取り精度が悪くて、ちゃんと変換してもらえない。それが続いて、やめた。
そもそも、言葉を発することが苦手だった私が、パソコンに向かって声を出す。それだけでもハードルが高かった。
何度も言われた。音声入力の方が早いですよ、どんどん使いましょう、と。
でも、なかなか踏み出せなかった。
神経を緩め、AIも変えたらできるようになった。
あーとか、えーとか、考えながらだらだら話しても、ちゃんと受け取ってくれる。未完成のまま出していい。整えてから話さなくていい。
「肝心なことは後から出てくる」——そんな評価をこのAIがしているのを見て、思わず笑ってしまった。そうなんです、私の話し方はそういう感じなんです。
「出してもいいんだ」と思えるまで
出してもいいんだな、と思えるようになってきた。
以前は頭の中で完璧に整えてから出さないといけなかった。整っていないものを出してはいけない、という感覚があった。
でも神経系から見ると、これは「出す前に検閲する」パターン。
喉のあたりでブレーキがかかる。
子供の頃から刻まれた「口に出してはいけない」が、体の反応として残っていた。
音声入力は、その検閲を少しずつ外す練習になっていた。
あーでも、えーでも、未完成でも、出していい。出したものを受け取ってもらえる。否定されない。
それを繰り返すうちに、喉のあたりが少し楽になってきた気がする。
神経系の練習は、日常の中にある
神経系の練習というのは、特別なことじゃない。
日常の中に、こんなふうに練習の場がある。
整えてから出すのをやめる。未完成のまま声にする。受け取ってもらえる体験を積み重ねる。
それだけで、何十年も締め付けられていた喉が、少しずつほどけていく。

