やる気が出ないのは、心ではなく内臓からのサインかもしれない
やる気が出ない。
そんなとき、あなたはどうしていますか?
気持ちを切り替える。目標を立て直す。気を抜くなとはっぱをかける。 運動をする。もう少し頑張れば動けるはずだと、自分を奮い立たせる。
きっと、あなたなりの方法で「やる気を出そう」としますよね。
それでも動けないと、「自分の意志が弱いのではないか」「怠けているのではないか」と、自分を責めてしまうことになってませんか。
けれど、何をしても気持ちが動かないときは、少し発想を変えてみてください。
もしかしたら、心の問題だけではなく、内臓を含めた体の内側が疲れているのかもしれません。
考えることにもエネルギーを使っている
私たちは、考えたり、判断したり、行動したりするためにエネルギーを使っています。
仕事のこと。家族のこと。これからのこと。過去に言われた
…頭では分かっているのに動けない、その理由
頭では、こうした方がいいと分かっている。
やることも、決めている。
それなのに、なかなか手をつけられない。
そんなとき、私はずっと、
「意志が弱いからだ」
「まだ覚悟が足りないんだ」
と思っていました。
だから、もっとしっかり決めようとする。
考え方を変えようとする。
自分に言い聞かせて、なんとか動かそうとする。
でも、それだけでは、うまくいきませんでした。
私自身、セミナーを受けたり、セッションを受けたりして、いろいろなことを学んできました。
そのときは、「なるほど」と思うんです。
「これで変われるかもしれない」と思うこともありました。
でも、しばらくすると、また同じところで止まっている。
知識は増えているのに、実際の行動にはつながっていかない。
その理由を考える中で、私がたどり着いたのが、神経の話でした。
私は、自律神経
…決めたはずなのに、また迷い始める
何か一つ、「これをやろう」と決めても、心の中で迷いが始まるそんな経験はありませんか。
「こうしたい」と思った次の瞬間、別の自分が出てきて、
「本当にそれでいいの?」
「もっと違うやり方があるんじゃない?」
と、言い始める。
すると、頭の中で会話が始まってしまう。
こうした方がいいと分かっているのに、なぜか違う選択をしてしまう。
いろいろな答えが同時に浮かんできて、一つに絞れない。
そして結局、決められないまま終わってしまう。
私は、これを何度も繰り返してきました。
最近も、ある一つのことを「今週中にやろう」と決めました。
決めた瞬間は、「これでいこう」という感覚があったんです。
でも少し時間が経つと、また始まりました。
「本当に、それでいいのかな」
「もう少し考えた方がいいんじゃない?」
「もっといい方法があるかもしれな
…「こんな自分ではいけない」と思っていた私も、私だ
自由に生きたい私。
成功したい私。
もっと前に出たい私。
誰かに頼りたい私。
嫌なことは「嫌」と言いたい私。
そんな私は、たぶん、ずっと私の中にいたんです。
けれど私は、それを素直に外へ出せませんでした。
「そんなことを言ってはいけない」
「そんなふうに思ってはいけない」
「これくらい我慢しないと」
そうやって、自分でも気づかないうちに、いろいろな自分を奥へ押し込めてきたのだと思います。
「こうしたい私」と「してはいけない私」
本当は、やりたい。
でも、「やってはいけない」と止める私がいる。
本当は、嫌だ。
でも、「嫌だなんて言ってはいけない」と我慢する私がいる。
本当は、誰かに頼りたい。
でも、「自分でやらなきゃ」と踏ん張る私がいる。
ひとりの人間の中に、
「こうしたい私」と、
「そんなことをしてはいけない私」がいる。
それは、苦
…私は、学びが足りないから動けないと思っていた
投稿しようとして、手が止まる。
文章は書けている。
内容も、自分なりに考えている。
それなのに、投稿ボタンの前に来ると、急に不安になる。
「これで伝わるかな」
「こんなことを書いて大丈夫かな」
「もっと学んでからの方がいいんじゃないかな」
そうして、また保存するだけになる。
私は長い間、これを「自分の準備不足」だと思っていました。
だから、もっと勉強しました。
でも、学んでも学んでも、動けないときは動けない。
頭より先に、身体が止まっていた
投稿しようとしたとき、胸がざわついていました。
喉も少し締まっていたようです。
呼吸も浅くなっていました。
でも私は、その身体の反応を見ないで、
「もっと自信を持たなければ」
「もっと前向きにならなければ」
と、頭の中で自分を励ましていました。
励ましているのに動けない。
動けないから、また自
…必要とされるために「私がやる」と言っていたのかもしれない
引き受けたあとで苦しくなる。
「仕方がないな」
「じゃあ、私がやるわ」
と、つい引き受けてしまうことはありませんか?
私には、そういうところがありました。
誰かに強く頼まれたわけではありません。
周りを見て、
「私しか、やる人はいないんだな」
と思い、自分からその役を引き受けるのです。
ところが、実際にやり始めると、だんだん苦しくなってきます。
「私は、こんなに大変な思いをしたかったわけではない」
「どうして、また引き受けてしまったんだろう」
本当は気が進まなかった自分と、「私がやる」と言って行動している自分。
その二人が、自分のなかでちぐはぐになっていました。
自分から引き受けた以上、相
…自分を責めてしまうのは、神経が守ろうとしているから
以前の私は「私が悪い」
「もっと頑張らなければ」
気づくと、いつも自分を責めていました。
頭では「自分を認めよう」「もっと自分に優しくしよう」と思っても、 なかなか止められない。
それは、意志の問題ではなかった。
強い緊張や不安が続いていると、身体は「失敗してはいけない」 「危険を避けなければ」と警戒します。
すると、頭で考えるより先に、身体の防衛反応が働きく。
その反応のひとつとして、
「私が悪い」
「もっと頑張らなければ」
「こんな自分ではいけない」
という自己責めが、自動的に出てくるのです。
私は、自己責めが自分を苦しめていると思っていました。
でもそれは、失敗を避け、危険を減らそうとして身についた 反応だったように思います。
だから、「自己責めをやめよう」と頭だけで頑張って
…「楽しかったね」が、私の中から出てこなかった
どこかへ遊びに行く予定が決まっても、私は「楽しみだな」と思うことがありませんでした。
行きたくないわけではありません。
決められた日に準備をして、目的地へ行き、予定どおりに過ごして、家に帰る。
一つの行事を、淡々とこなしているような感覚でした。
遊びも、予定表に書かれた一つの行事だった
遊びに行くことは、本来なら楽しいことなのだと思います。
「今度、ここへ行こう」
「きれいな景色を見に行こう」
「おいしいものを食べに行こう」
そう聞けば、出かける前から楽しみになる人もいるでしょう。
でも、当時の私には、その「楽しみ」がありませんでした。
予定が決まれば、行く。
時間が来れば、出かける。
そして、予定を終えて帰ってくる。
遊びであっても、私の中では、やらなければならない行事とあまり変わらなかったのです。
景色は見えているの
…胸に手を当ててみたら、何も分かりませんでした
胸に手を当ててみたら、何も分かりませんでした。
なぜこんなことをしたかというと、こういう研究の読んだからです。
目を閉じて、指では触らずに、自分の心臓が何回打ったかを数えてもらう。本当に感じ取れていた人は、27.4%だったそうです。10人のうち7人は、分からない。
それで、やってみたんです。
分かりませんでした。
手首で脈を探して、やっと分かりました。
私はたぶん、この7人のほうに入っています。
でもこれ、感じ取る力がないという話ではないと思う.
心臓が動く
当たり前すぎて、気に掛けなかった。
私たちが気をつけているのは。食べるもの、サプリメント、たんぱく質
その他の栄養素。
でも、入れる器のほうは、あまり気にしていない。
たとえば、腸にいいものなら、すぐに出てきますよね。発酵食品とか、食物繊維とか。胃にやさしいもの
…私が「脳をクリアリングすることが大切」と思っていた理由が、やっと言葉になりました。
私は以前から、
「脳をクリアリングすることが大切です。」
「脳に空白をつくることが大切です。」
とお伝えしてきました。
でも、正直に言うと、その頃私は「なぜ大切なのか」を言葉で説明することはできませんでした。
私自身の体験から、
「脳がスッキリすると、物事が見えやすくなる。」
「頭が軽くなると、自然に動けるようになる。」
そんな感覚があったからです。
だから私は、長い間、
「脳に余白をつくることが大事なんだ。」
と、感覚的に伝えていました。
「認知負荷」という言葉に出会って
先日、「認知負荷」についての記事を読みました。
そこには、
脳は一度に処理できる情報量に限界があり、
頭の中に未完了のことや判断することが増え続けると、
脳は疲れ、
集中力や判断力が落ち、
イライラしやすくなる、
ということが書かれていました。
読んだ瞬間、
「こ
…