本音って、怖い
グループで一緒に始めた音声配信。メンバーの一人が話しているのを聞いていると、この話は「聞きたくない」という気持ちが湧いた。
でもチャットには「二人で話してる方が楽しかった」とだけ送った。
本音は書けなかった。
なぜ書けなかったのか
なんで書けなかったんだろう、と後から振り返った。
嫌われたくなかった。きつい人だと思われたくなかった。
それだけじゃない。過去に正直に言って、相手を傷つけてしまったことがある。そのたびに自分を責めた。その積み重ねが、体の中にある。だから本音が出てこなくなっていた。
これ、意志の問題じゃないんです。神経のパターン。
本音を隠してきた人間が、他人の本音を疑う
実はずっと、本音を隠して生きてきた。
だから、他の人のSNSを見ると、意地悪な目で見てしまうことがあった。
「これ、本音?」「本当のこと書いてるの?」って。
SNSだけじゃない。会話を聞いていても、同じだった。
この人、すごいことを言ってる。正しいことを言ってる。でも……しんどくないのかしら。本当にそう思ってるのかしら。
一生懸命、真面目に、正しいことを語る人を見ながら、どこかそんな目で見ていた。
今だから正直に言えるけど、そういう自分がいた。本音を隠してきた人間が、他人の本音を疑う。そういうことだったんだと思う。
自分が言えないから、言える人が信じられない。
神経が「危険だ」と記憶している
一般的には「本音を言う練習をしましょう」「勇気を出して」みたいな話になる。
でも私はそれをやろうとするたびに、体がブレーキをかけた。
頭ではわかってる。言った方がいい、とも思ってる。でも体が止まる。
これは根性が足りないんじゃない。神経が「本音を言うのは危険だ」と記憶しているから。過去に傷つけてしまった経験が、神経に刻まれているから。
意識でいくら「変わろう」としても、神経のパターンは変わらない。
神経が緩むと、変わってくる
神経を緩めると、これが変わってくる。
本音を隠す必要がなくなる、というよりも——隠さなくていいかもしれない、という感覚が自然に出てきた。
他人のSNSを意地悪な目で見ていたことも、会話の中で「しんどくないのかしら」と思っていたことも、今は「そうだったな」と認められる。責める気持ちがない。
本音を言えなかったのは、冷たい人間だったからじゃない。神経が守ろうとしていただけ。
それがわかると、自分への見方が変わる。


