「兄弟はたくさんいるのに、なぜ私だけが?」という孤独な責任感
ずっと、家族の中で「ありのままの自分」でいることが、本当は、とても怖かったのです。
「何かをしてあげないと、愛されないんじゃないか」 「私が親を助けないと、この家にいてはいけないんじゃないか」
兄弟は、たくさんいました。 他にも誰かがやればいいはずなのに、なぜか当時の私は「私がしなければならない」という、強烈な義務感に突き動かされていました。
今は、わかります。 それは、自分でも気づかないうちに「ケアギバー(お世話役)」という役割を引き受けることで、自分の居場所を、必死に、必死に守ろうとしていたのだと。
それは、純粋な優しさというよりも、あの場所で生き抜くための、幼かった私の精一杯の「適応」だったのだと思うのです。
感情を消して「ロボット」にならざるを得なかった
ポリヴェーガル理論という神経の仕組みを知ったとき、あの頃の私の状態が、本当の意味で腑に落ちました。
私は常に、感情を完全に切り離してフリーズしてしまう「シャットダウン」の状態にありました。 「自分が何を感じているのか、考えもしなかった」のは、脳がサバイバルモードに入っていたからです。
あまりにも苦しすぎると、人って、動けなくなってしまう。 だから、脳が私の心を守るために、あえて感情のスイッチを「オフ」にして、ロボットみたいに「やるべきこと」を、ただ、私にこなさせていた。
今なら、理解できます。なぜ人のことを頼れない、人と仲良く慣れないそのわけが。
感情が動かなかったからであって、私が冷たい人間だったからではないのです。 そうしなければ心が壊れてしまうほど、私は、過酷な場所にいたからなのです。
助けたい自分と、まだ休みたい自分
「だからこそ、私は今、同じように苦しむ人の助けになりたい」 そう思う自分がいます。 痛みを知っているからこそ。今、暗闇にいる誰かの手を、そっと握りたい。
でも、その一方で。 「こんだけ頑張ったのだから。もう、ゆっくりしても良いのではないのか」 そう、自分を引き止める声も、同じくらい大きく響いているのです。
私の神経は。まだまだ、ゆるみきっていない。 長年張り詰めていた糸が、ようやく少しだけ解け始めたばかりで。 そんなことを、今も繰り返し、繰り返し、思ってしまう自分がいるのです。
揺れながら、歩いていく
以前の私なら、そんな自分を「中途半端だ」と責めていたかもしれません。 でも、今は。この揺れこそが、私を取り戻していると思うのです。
無理にアクセルを踏まなくてもいい。 まだ神経が「怖いよ」と言っているなら、その声を聞いてあげたい。
完璧に癒えた私ではなく、揺れながら。迷いながら。 それでも自分を慈しもうとしている私だからこそ、あなたのサポートだできる。そう思っています。
同じように、心の中にざわつきを抱えながら頑張っているあなたへ。 「一人で頑張らなくていいんだよ」 「ゆっくり休んでも、いいんだよ」 そんな言葉を、まずは私自身に、そしてあなたに、贈りたいと思います。

